心に留めておきたい言葉 (1)

いろいろありますが、最近自分でもよく意識するのはこれです。「一事が万事」。

「一つの事から他のすべての事までを推察できる」というような意味ですが、この言葉が身近なところで使われているのを何度か聞いてから、あるところでいい加減な対応をするようであれば、別のところでもそのいい加減さは(本人は取り繕えていると思っても)きっと出てしまっているのではないかとしばしば思うようになりました。

必ずしも全てのものごとに当てはまる訳ではないし、当てはめて考えるべきでもない(ひとつ悪い点があるからといってその人を極悪人と認定するのは適切ではないでしょう)ですが、自分を律する上では必要な言葉かなと思っているのでした。

話は変わりますが、私はいつの間にか「自分を律する」とか「自己管理」について考えていることが多くなっていました。今思えば学生のころはそんなことを全然考えていなかった気がします。

これも少しずつ自分の中身がつくり変わってきているということなのだと思います。そしてこの先もまた徐々にではあるけれど変化し続けていくのでしょう。できる限り自分にとってより幸せな人生を生きられるように変化していきたいですね。

人と会うのは刺激的

今日は寮の友人から誘ってもらって、3 人で食事をしてきました。少人数で会うとお互いにじっくりと話を聞くことができて、今日も楽しい時間を過ごせました。

書籍や Web で読める情報とはまた違った種類というか、話の内容自体がより身近に感じられるのがよい点だと思います。こうした機会はもっと積極的に求めていきたいなと思いを新たにしました。

自分をどう規定するか

先日少し書いたことですが、自分の特質として細部にこだわるまめさがあるのではないかと感じたことがありました。その後、まわりの人からもそのように言われることがあり、それを受けてさらに「自分はまめである」という意識が強まりました。

そうなると、日常のふとしたときに「自分はまめである」という認識が意識下に出てきて、まめな自分としての振る舞いを選択するようになってきます。例えば、就業後会社を出るときにこれまでは机の上を片付けたりあまりしていなかったのに、「自分はまめだからなー」などとぼんやりと考えつつ、きれいに片付けてから帰るようにしたり、という感じです。毎日必ずそうしているわけではありませんが。

これはとても面白いと思います。自分で自分のことをどう思っているか、それによって自分の行動が影響を受けるのだから、マイナスのイメージを持ってもいいことはなく、積極的に自分に対して肯定的な評価を与えるほうがずっとよさそうです。

自分はがさつだとか、自分は気むずかしいとか、もう○○歳だからだとか言う(思う)のではなく、元気があるとか、人当たりがよいとか、集中力があるとか、自分でいいように規定してしまうことで結局自分がその恩恵を受けるのではないでしょうか。

各個撃破

やらねばならないことがたくさん溜まっていると、それらを処理していく過程で気力体力を消耗するのはもちろん、溜まっているという状態を認識しているだけで精神的に圧迫感を感じてライフゲージを削られてしまいます。(まぁ程度にもよりますが)。

しかし、どんなに大量のタスクが目の前に積み上がっていたとしても、自分は 2 本の腕でキーボードをタイプし、ひとつの頭で必要なことを考え、視線を向けられるのも一方向に限られています。

結局のところ、(厳密に考えなくても)一度に処理できることはひとつであり、1 日に対処が必要なタスクの数も有限なので、冷静さを保ちつつ落ち着いて一件一件を着実に進めていく、というのがよい選択なのではないかなと思います。やることに追われまくっていて少ししんどさを感じていたところで、それらが片付きそうになったタイミングでそんなことを思いました。

書いていて気づくこと

このところ仕事でやることがたくさんあり、何だかずっと追われっぱなしのような心境です。というか、実際スケジュールに追われてます。でも成果物をよりよいものにするために手を抜かずにやり込んでいた部分もあり、そこはそれでよかったのだとも思っています。

もしかしたらそれ(=細部にもこだわること)は自分にとっての特色、プチ強みのようなものなのかもしれません。今書いていて気づきました。

こういうことに気づけたのは、この話題を文章で書こうとしたからであり、やはり考えていることを言語化する試みというのは大切なのだなぁと感じております。おわり。